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   <title>のみものだもの</title>
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   <subtitle>飲み物に関するてきと＾でいいかげんなサイト汁(；・∀・)汗</subtitle>
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   <title>宇宙のしくみと人体　3</title>
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   <published>2012-01-06T02:56:19Z</published>
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      ある意味で、生命場はからだの片割れ、残りの半分だと考えることもできます。


からだの半分は、わたしたちがふだん人間として認識している肉体であり、あとの半分は目に見えない「場」なのです。


一時期、科学者たちがその生命場をしらべ、皮膚から1センチ弱ほどのものを検出したことがありましたが・・・


最近の研究では皮膚から80センチ以上もあるということがわかっています。


この生命場は肉体に生命力をみちびきいれ、その人にスピリット(霊魂、気力)を供給しています。


けがをしたりこころを痛めたりすると、生命場はそのショックを、エネルギーの消耗というかたちで肉体にあらわす。


そんなとき、それを放置しておくと、エネルギーの消耗が機能不全にまで発展して病気になり、ついにはからだの機能がまったく停止してしまいます。


・・・しかし、エネルギーの消耗に気づいて休息や補給をすれば、からだは失われた健康を自然にとりもどすようにできています。


生命場の安定度を知るには健康状態を観察すればいいのです。


      
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   <title>宇宙のしくみと人体　2</title>
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   <published>2011-12-06T02:55:39Z</published>
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   <summary>半世紀以上にわたって本を読み、論争し、質問し、黙想をつづけた結果・・・ わたしは...</summary>
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      半世紀以上にわたって本を読み、論争し、質問し、黙想をつづけた結果・・・


わたしは人体が「生命場」とでもいうべきものに包まれているということを確信するようになりました。


その生命場は全身にくまなく浸透し、さらに皮膚を大きくこえて、全身を包んでいます。


それがどんなものかを知りたい人は、からだをとりまく色のついたオーラを想像すればいいのです。


色はその人の状態によって、緑、赤、黄色など、さまざまです。


オーラが見える人によれば、わたしの生命場は青みがかっているらしいのです。


霊的な人のしるしである紫っぽいオーラよりは、どちらかといえばヒーラー向きの人のしるしに近いということです。


もし生命場が目に見えれば、それは人間の影のかたちのように見えるはずです。


あたまのまわりを丸くとりかこみ、肩の部分でひろがって、腰でせまくなり、足に向かってだんだん細くなっています。


      
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   <title>宇宙のしくみと人体</title>
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   <published>2011-11-06T02:54:26Z</published>
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      嵐が近づくにつれて、わたしの呼吸がみだれ、思考もみだれてくるのがわかります。


急速にさがった気圧がわたしの体内の複雑な化学反応を変化させ、器官系を緊張させているのです。


宇宙とのつながりについて理解することで得られる利益はたくさんあるのです。


なによりも、自然のいとなみのしくみがわかれば、それを味わい、楽しむことができます。


その楽しみが深まるにつれて、自分がどんな環境にいるのかについての理解が自然に深まり、そのことが確実に健康にたいするより深い理解につながるのです。


「企業戦士」たちはこういうかもしれません。


「それは結構なことですが、わたしはカネを稼ぎたいだけなんだ」


・・・その反論にたいしては、こう答えておきましょう。


「そのカネをもって、どこに行くのかね？それともただ、あとに残すために？」


・・・これからわたしが語ろうとしているのは、人が一生身につけられるものについてです。



      
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   <title>ザ・スーパースター　2</title>
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   <published>2011-10-31T01:33:07Z</published>
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      かつて、1928年の大統領選挙でニューヨーク州知事アル・スミスが史上最初のアイルランド系カトリック教徒として立候補しましたが、共和党のハーバート・フーバーに大敗を喫したという悪い事例が、何としても不気味です。


第三に、ケネディがハーバード大学出身の秀才でエリートであるという点です。


日本では「東大出身」が総理大臣になる前提条件といってよいですが、アメリカではこれは通用せず、むしろマイナスになります。


「丸太小屋からホワイトハウスへ」というのがワシントン初代大統領以来のアメリカン・ドリームであり、伝統となっています。


第二次大戦後だけに限っても、トルーマン、ジョンソン、ニクソン、カーター、レーガンといった大統領は、いずれもアメリカ人好みのセルフ・メイド・マンです。


ケネディがこのようなハンディを克服できたのは、極端ないい方をすれば、テレビのおかげでした。


彼は戦後ただちに政治家を目指し、マサチューセッツ州から1946年の下院議員選挙に当選して、その第一歩を踏み出しました。



      
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   <title>ザ・スーパースター</title>
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   <published>2011-09-11T01:32:22Z</published>
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   <summary>「両者は、互いのために生まれ、互いに利用しあったのだ。 ケネディが大統領になった...</summary>
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      「両者は、互いのために生まれ、互いに利用しあったのだ。


ケネディが大統領になったため、テレビを持ち、番組を見ることが政治的に必須な行為となった。


政治の力点は、もろもろの権力機構から大統領府へと移り、テレビは権力の中枢へ根をおろす。


テレビの登場は時代の趨勢ではあったが、ケネディの持つ鋭い政治感覚、類のない自信、抜群の容姿などに刺激され、この傾向は加速される・・・」


・・・大統領になるために、ケネディには乗り越えねばならない3つの弱点がありました。


第一は若さでした。


上院には、民主党の政治的キャリアゆたかで野心を持つ鉾々たる連中アドレイ・スティーブンソン、ヒューバート・ハンブリー、スチュアート・サイミントン、リンドン・ジョンソンこれに前大統領のトルーマンも加わって、ケネディの大統領候補への道をはばんでいました。


第二にケネディには、アイルランド系カトリック教徒という、決定的なハンディキャップがありました。


      
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   <title>狂熱の果て　2</title>
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   <published>2011-08-31T01:31:22Z</published>
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      「TVが最も創造的で大胆であった黄金時代には、広告業者はそれ以後のいかなるときよりも、番組編成に大きな支配力を持っていたのだ。


むしろ、テレビの腐敗は、アメリカ企業独占史における別の側面にすぎない・・・。」


さて、ラジオが流行したとき、これを早速取り入れ、「炉辺談話」という形式で国民に語りかけ、その心をとらえてしまったのは、いうまでもなく、フランクリン・D・ローズベルト大統領でした。


これに対し、テレビというさらに効果的なマスメディアを駆使して、ジョン・F・ケネディは、43歳という若さで大統領の座を勝ちえたのです。


アメリカのマスコミ界の内幕を描いた『メディアの権力』のなかで、著者デビッド・ハルバースタムは、ケネディ大統領とテレビの関係について、次のように述べています。


「・・・ケネディはテレビの寵児だった。


テレビの生んだ最初の政治的なスーパースターといってよい。


この青年政治家のおかげでテレビは発展し、テレビによって彼もまた偉大となる。」


      
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   <title>狂熱の果て</title>
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   <published>2011-07-31T01:30:04Z</published>
   <updated>2011-07-31T20:10:58Z</updated>
   
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      NBCの『21』がいかさまであることを、人気のあるチャンピオンに負かされた男が訴えました。


これに対し、チャンピオンの青年は告白してその事実を認めたのです。


この事件は問題が問題だけにセンセーションを呼び、議会も調査に乗り出しました。


CBSの『6万4000ドル・・・』も、追及を免れることができませんでした。


しかし、こちらは何とかシロとなり、最初にこの番組を制作して抜擢された副社長だけが処分されたにすぎませんでした。


CBSの最高幹部も、スポンサーのレブロンも責任を免れました。


テレビ産業が本格化してやっと10年になるやならずで、早くもこのような不祥事件が発生したことは驚くべきことですが・・・


アメリカの広告業史『ミラー・メイカー』(1984年)を書いたスティーブン・フォックスは、この点について、次のように述べています。


「・・・1950年代におけるテレビの質の低下はメディアムへの広告業の権力によってひき起こされたものではない。」


      
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   <title>生産と消費　4</title>
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   <published>2011-06-27T04:04:32Z</published>
   <updated>2011-06-30T20:10:09Z</updated>
   
   <summary>畑の交流会などは、お互いの畑の違いとか、その使い方とか、どんな物を作っているのか...</summary>
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      畑の交流会などは、お互いの畑の違いとか、その使い方とか、どんな物を作っているのかなどいろいろ勉強になります。


それに話をするよりも相手が見えてくるように思えます。


そんなことの積み重ねの上に、一つの連合体とまではいかないにしろ、言いたいことがづ.口える集まりになればと思います。


食べ物を作る技術が交流し合えれば、だれだれの物がいいとか悪いとかじゃなくて、全体のレベルが揃い、組織としてどう評価されるかということになってくると思います。


それをどんどん拡大していければスゴイと思います。


一般的に言えば、いい技術はしまっておいて、他人には教えないというのが風潮のようですが、それを公開していって、みんなでよくなろうというような流れができると面白いと思います。


そうなると、核戦争みたいなもんで、だれも生き残れないだろうと思えるのに、やめることができない産地間戦争みたいなものもなくなるんじゃないかと期待できます。

      
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   <title>生産と消費　3</title>
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   <published>2011-05-27T04:03:40Z</published>
   <updated>2011-05-27T20:10:20Z</updated>
   
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      生産者と消費者の関係のことをいろいろ述べてきましたが、それ以上に今、興味があるのが、生産者どうしの横のつながりです。


そんなわけで、消費者との関係といっても、生活クラブ生協の組合員ぐらいのところで留まっていて、それ以外のところでは、向ケ丘青年部でやっている「ジャガイモ学校」に参加して来る人たちくらいのところなのです。


生産者の横のつながりといっても、生活クラブ生協に出荷している川崎・横浜地区の生産者なのです。


これも共同購入方式に変わった一つの成果なのかも知れません。


共同購入方式の導入によって、いろいろな会議を開くと、数多くの生産者組織が顔を揃えることが多くなり、労働組合じゃないけれど、交渉事では頭数が多い方がいいんじゃないかというようなところからはじまっています。


実際のところ頭数になるようにはなっていないのですが、お互いの畑見学みたいなことはやっているのです。


交流会とか新年会とか、何かとお酒を飲む機会が多いのですが、まだはじまったばかりですので、気心を知るようになることも必要じゃないかと思っています。


      
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   <title>生産と消費　2</title>
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   <published>2011-04-27T04:03:16Z</published>
   <updated>2011-04-27T20:10:05Z</updated>
   
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      こういうふうにすると、自主管理する可能性は大きくなっていくと思うのですが、関係が小さくなって回りがだんだん見えなくなってしまうのではないでしょうか。


大きければいいってもんじゃないけれど、小さい世界で、あるいは専門化された世界で満足してしまっては社会性というふくらみをもてなくなってしまう。


やりやすい方向を求めて行くと、そういう落とし穴があるように思えます。


どっちがどうという問題にもならないだろうし、一気に解決がつくという問題でもないでしょうから、私は当面生活クラブ生協の組A口員とやって行こうと思っています。


ただ、生産と消費を流通も含めて自主管理していこうという気持ちは捨てたくはないし、それに至る一歩として、生活の場から出てきたような本音をお互いに出し合えるような場を、数多く作り出していかなければと思っています。


すれ違いとか思い違いとか、いろいろもつれ合っているものを解きほぐしていかなければと思います。


都市の中で農業やっているということは、そういうことがやりやすい環境の中にいるということであり、それをやっていかないと都市の中の農業は生き残っていけないんじゃないかと思います。


      
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   <title>生産と消費</title>
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   <published>2011-03-27T04:01:07Z</published>
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      協同組合間提携とか生産者と消費音の提携とか言葉で言っても何かソラゾラしい感じがして、ホントかな、なんて思ってしまうのです。


小さいうちはなんとなくわかり合えていると思えてても、大きな関係になると薄まってしまうような本音の部分が恐い。


そんなことを思っていると、今、産直みたいなことをやっているわけだけれども、生産者と消費者の本音の部分というか根っ子の部分みたいなものがかなり違っているんじゃないかと思えてきてしまいます。


こんなことをウダウダ思っていてもしょうがないのですが、私たちが今、生協とやっていることの最終目的地は、生産から消費までの流通も含めた自主管理であり、そのことも含めて私たちは流通組合を名乗っているのです。


自主管理された生産と消費というものがどういうものか、まだはっきり見定めることはできないんですが、人と人との関係のようにバラして、より小さい単位にすれば案外簡単なのかも知れません。


例えば、生産と消費を切り離してしまい、生産する側は生産する側だけで、また消費する側は消費する側だけで自主管理するというふうに。


そういうふうにしてやりやすい単位にまで切り刻んでしまうのです。


      
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   <title>色彩の尽きぬところ　10</title>
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   <published>2011-02-06T02:09:54Z</published>
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   <summary>黒はブラックでもよく、ノワール、ネロ、ネグロ、シュヴァルツなどとも呼ばれてもいい...</summary>
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      黒はブラックでもよく、ノワール、ネロ、ネグロ、シュヴァルツなどとも呼ばれてもいいわけです。


黒という言葉が、暗いということを表す言葉であっても、連想としては、まったく不思議ではないのです。


ある氏は、アクセントの点で、クロとクル（陰・昏）、あるいはクラシ（暗）とは同一とはいえないので、むしろクリッチ（涅）、クロッチ（濾）という土の呼び方の方が、日本語の黒の言語ではないかと推定されています。


どちらも黒土の意味であって、他の染料、顔料よりも相対的に色が黒かったのでしょう。


実際、布地を泥の中に漬けてしまう原始的な染色法によって得られる色は、「涅色（くりいろ）」といわれ、暗い茶色味の灰色になります。


他の染色の色がもっと薄い色にしかならなかったとすれば、それが大昔の黒色であったわけです。


漢字の黒も、天然自然の闇という意味ではなく、たまたま人間が発見した黒い色を指しています。


黒という字の下部の点々は火をかたどり、上部は煙突に墨（すす）がついた様子を表しているということです。


      
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   <title>予算編成</title>
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   <published>2011-01-13T05:36:29Z</published>
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   <summary>予算編成とは議会に提出する予算案を予算編成調整する手続きである。 それは約三年間...</summary>
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      <![CDATA[予算編成とは議会に提出する予算案を予算編成調整する手続きである。

それは約三年間にわたる予算過程の一局面であるが、翌年度の予算編成の時期に当該年度の予算執行が行われながら、前年度の決算手続きが行われているように、予算過程は重層的に進行する。

したがって、予算編成は前年度の決算状況、本年度の執行状況を考慮しながら行われる。

国の場合は、予算決算及び会計令第八条により各省庁は毎年8月末までに歳入歳出等の概算見積を大蔵大臣に提出、財政法第二七条により12月中に予算案を国会に提出する建前である。

しかし本条は守られず、通常は}月下旬に予算案は国会に提出されている。

自治体では各団体の財務規則により、首長または副知事、助役等により翌年度予算編成方針が示され、翌年度概算要求については、府県の場合一〇月頃、都市で一二月頃に財政当局に提出される。

知事ないし市町村長による最終査定が一月中に行われるが、この時期に、自治省より財政課長内翰が出されて、歳入歳出見積等の指導が行われ、二月中には議会に提出される。

予算編成手続きを合理化するため、経常経費と政策経費(新規分と継続分)を区分し、前者については標準予算方式で早期にまとめ、財源状況をにらみながら政策経費とくに建設事業の見積りを進める。<a style="color:#333; text-decoration:none; font-weight:normal;" href="http://d.hatena.ne.jp/bosses/" target="_blank">エグゼクティブトレード</a>によると、自治体の主な財源が交付税、地方債、国庫補助負担金であり、しかも税制改革があるなど、国の予算編成に大きく影響を受けているので、自治体の当初予算は概算予算の性格が強く、本格予算は九月補正後の予算とみられている。

予算編成に当たって、住民や職員の参加を保障するなど、各種の民主化が期待されている。


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   <title>色彩の尽きぬところ　9</title>
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   <published>2011-01-12T02:09:03Z</published>
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   <summary>黒が黒であるためには、どうやら黒の障害になるはずの明るさや、その他の色が存在する...</summary>
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      黒が黒であるためには、どうやら黒の障害になるはずの明るさや、その他の色が存在することがどうしても必要なのです。


「黒」という色名は、人類にとってもっとも基本的な色名だとされています。


人が黒という色名を必要とした時、すでにその他すべての色が、相対的に意識されていたといえるはずなのです。


未開社会の言語では、黒は比較の意味で名指されることがよくあるといいます。


白・黒・赤の三色分類の言語でも、黒はしろと赤の療法の否定的な意味に使用されるといいますが、結局、すべての色を否定し、それらと対立する色とされるところに黒の基本的な性格が認められるのです。


ですから黒と名づけられる色は、必ずしも真っ黒な色である必要はありません。


他の色との関係において、相対的に黒く見えれば黒の資格としては充分なのです。


      
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   <title>色彩の尽きぬところ　8</title>
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   <published>2011-01-06T02:07:57Z</published>
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      完全に光を遮断した暗室で眼を開けていても、真の暗黒が見えるわけではありません。


眼の生理的機能が継続されているかぎり、一種の灰色のもやのような明るさが感じられ、決して真っ暗には感じられないのです。


画像の消えたテレビ画面を見てみると、一様な灰色をしているだけですが、スイッチを入れて映像が現われると、画面の中にちゃんと黒い色が見えはじめる、という事実も黒という色の秘密を解くひとつの鍵になるかもしれません。


人間の感覚にとって、黒という色は単なる光の欠除によって感じられる色のひとつではなく、光の刺激があるのです。


あるいは他の何かの色を同時に見ることによって、はじめて黒に見える色だということです。


可能なかぎり真っ黒な黒を見るということを目的として、「キルヒホフの暗箱」という奇妙な装置が考案されています。


この装置は、内部に黒羅紗を貼った灰色の箱の表面に、小さな円形の窓を開けて、その丸い穴の周囲を白い輪で囲んだだけの、馬鹿馬鹿しくなるほど簡単なただの箱にすぎません。


しかし、この穴を通して見える黒が、日常見られる色の中ではもっとも真の黒に近い黒だということになっています。


      
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