生産と消費

協同組合間提携とか生産者と消費音の提携とか言葉で言っても何かソラゾラしい感じがして、ホントかな、なんて思ってしまうのです。


小さいうちはなんとなくわかり合えていると思えてても、大きな関係になると薄まってしまうような本音の部分が恐い。


そんなことを思っていると、今、産直みたいなことをやっているわけだけれども、生産者と消費者の本音の部分というか根っ子の部分みたいなものがかなり違っているんじゃないかと思えてきてしまいます。


こんなことをウダウダ思っていてもしょうがないのですが、私たちが今、生協とやっていることの最終目的地は、生産から消費までの流通も含めた自主管理であり、そのことも含めて私たちは流通組合を名乗っているのです。


自主管理された生産と消費というものがどういうものか、まだはっきり見定めることはできないんですが、人と人との関係のようにバラして、より小さい単位にすれば案外簡単なのかも知れません。


例えば、生産と消費を切り離してしまい、生産する側は生産する側だけで、また消費する側は消費する側だけで自主管理するというふうに。


そういうふうにしてやりやすい単位にまで切り刻んでしまうのです。

色彩の尽きぬところ 10

黒はブラックでもよく、ノワール、ネロ、ネグロ、シュヴァルツなどとも呼ばれてもいいわけです。


黒という言葉が、暗いということを表す言葉であっても、連想としては、まったく不思議ではないのです。


ある氏は、アクセントの点で、クロとクル(陰・昏)、あるいはクラシ(暗)とは同一とはいえないので、むしろクリッチ(涅)、クロッチ(濾)という土の呼び方の方が、日本語の黒の言語ではないかと推定されています。


どちらも黒土の意味であって、他の染料、顔料よりも相対的に色が黒かったのでしょう。


実際、布地を泥の中に漬けてしまう原始的な染色法によって得られる色は、「涅色(くりいろ)」といわれ、暗い茶色味の灰色になります。


他の染色の色がもっと薄い色にしかならなかったとすれば、それが大昔の黒色であったわけです。


漢字の黒も、天然自然の闇という意味ではなく、たまたま人間が発見した黒い色を指しています。


黒という字の下部の点々は火をかたどり、上部は煙突に墨(すす)がついた様子を表しているということです。

予算編成

予算編成とは議会に提出する予算案を予算編成調整する手続きである。

それは約三年間にわたる予算過程の一局面であるが、翌年度の予算編成の時期に当該年度の予算執行が行われながら、前年度の決算手続きが行われているように、予算過程は重層的に進行する。

したがって、予算編成は前年度の決算状況、本年度の執行状況を考慮しながら行われる。

国の場合は、予算決算及び会計令第八条により各省庁は毎年8月末までに歳入歳出等の概算見積を大蔵大臣に提出、財政法第二七条により12月中に予算案を国会に提出する建前である。

しかし本条は守られず、通常は}月下旬に予算案は国会に提出されている。

自治体では各団体の財務規則により、首長または副知事、助役等により翌年度予算編成方針が示され、翌年度概算要求については、府県の場合一〇月頃、都市で一二月頃に財政当局に提出される。

知事ないし市町村長による最終査定が一月中に行われるが、この時期に、自治省より財政課長内翰が出されて、歳入歳出見積等の指導が行われ、二月中には議会に提出される。

予算編成手続きを合理化するため、経常経費と政策経費(新規分と継続分)を区分し、前者については標準予算方式で早期にまとめ、財源状況をにらみながら政策経費とくに建設事業の見積りを進める。エグゼクティブトレードによると、自治体の主な財源が交付税、地方債、国庫補助負担金であり、しかも税制改革があるなど、国の予算編成に大きく影響を受けているので、自治体の当初予算は概算予算の性格が強く、本格予算は九月補正後の予算とみられている。

予算編成に当たって、住民や職員の参加を保障するなど、各種の民主化が期待されている。


色彩の尽きぬところ 9

黒が黒であるためには、どうやら黒の障害になるはずの明るさや、その他の色が存在することがどうしても必要なのです。


「黒」という色名は、人類にとってもっとも基本的な色名だとされています。


人が黒という色名を必要とした時、すでにその他すべての色が、相対的に意識されていたといえるはずなのです。


未開社会の言語では、黒は比較の意味で名指されることがよくあるといいます。


白・黒・赤の三色分類の言語でも、黒はしろと赤の療法の否定的な意味に使用されるといいますが、結局、すべての色を否定し、それらと対立する色とされるところに黒の基本的な性格が認められるのです。


ですから黒と名づけられる色は、必ずしも真っ黒な色である必要はありません。


他の色との関係において、相対的に黒く見えれば黒の資格としては充分なのです。

色彩の尽きぬところ 8

完全に光を遮断した暗室で眼を開けていても、真の暗黒が見えるわけではありません。


眼の生理的機能が継続されているかぎり、一種の灰色のもやのような明るさが感じられ、決して真っ暗には感じられないのです。


画像の消えたテレビ画面を見てみると、一様な灰色をしているだけですが、スイッチを入れて映像が現われると、画面の中にちゃんと黒い色が見えはじめる、という事実も黒という色の秘密を解くひとつの鍵になるかもしれません。


人間の感覚にとって、黒という色は単なる光の欠除によって感じられる色のひとつではなく、光の刺激があるのです。


あるいは他の何かの色を同時に見ることによって、はじめて黒に見える色だということです。


可能なかぎり真っ黒な黒を見るということを目的として、「キルヒホフの暗箱」という奇妙な装置が考案されています。


この装置は、内部に黒羅紗を貼った灰色の箱の表面に、小さな円形の窓を開けて、その丸い穴の周囲を白い輪で囲んだだけの、馬鹿馬鹿しくなるほど簡単なただの箱にすぎません。


しかし、この穴を通して見える黒が、日常見られる色の中ではもっとも真の黒に近い黒だということになっています。

色彩の尽きぬところ 7

この地上では、光を完全に吸収しつくしてしまうような完全無欠の黒という色を、実際に見ることはできません。


しかし、すべての波長の輻射を完全に吸収する物体として、完全黒体というものが仮定の上では存在しています。


そのために、この黒体はある決まった温度では、すべての波長で最大の熱放射をする物体であるともされています。


古代ギリシャの思想では、白と黒、すなわち光と闇がすべての色のはじまりでしたが、量子論では、黒体という理想的な黒色物体は、すべての光の窮極であるとともに、光の放射の根源ともされているのです。


すべての色の尽き果てた黒体が、すぺての色の出発点でもあるという意味では、黒と白でさえ本質的に同じもので、色という現象において結果が逆になるにすぎません。


しかも、完全な光の欠除という客観的条件が、人間に完全な黒の感覚をもたらすとはかぎらないというところが、色というもののいかにも不思議なところです。

色彩の尽きぬところ 6

奈良時代に「橡色(つるばみいろ)」といわれていた色も、後世「黒橡」と呼ばれた色も、櫟の実や橿の実などの濃い煎汁に鉄媒染をしてできる色です。


やはり暗い灰色の一種ですが、墨染や玄と同様に、昔はやはり黒として認識されていたことでしょう。


黒い色や闇にかかる枕詞である「ぬばたま」というのも、アヤメ科のひおうぎという植物の実のことだといいますから、とても今なら黒の代表になるはずはありません。


日本の鉄色は、鈍色とほぼ同じ緑味の灰色のことらしいが、英語の「スチールグレー」は、それより暗い灰色になるようです。


砲金の色「ガンメタル」も同じくダークグレーの色名になっています。


色の明暗によって、軽重感が左右されることが多いです。


一般に明るい色は軽く感じ、暗い色ほど重い印象を与えますが、金属でも鉛や鉄などの重い金属は、やはり暗い灰色の色名になっています。


現代人は、黒と、黒に近い色や暗い灰色を厳格に区別するようになりました。


しかし、その暗い色たちにまだあまり結構な色名を与えてはいません。

色彩の尽きぬところ 5

世俗の人の黒い着物には、たいてい家紋が入るのが常識ですが、仏家の常服である墨染の衣には紋がないし、紋の入らない墨染の衣装には、他にも忍者が用いたという黒装束や、歌舞伎の黒子の衣装もあります。


忍者の墨色は、闇にまぎれて見えない色であり、黒子の墨色は存在しても無いに等しい影のような色です。


サラリーマンやお役人愛用のダークスーツのどぶ鼠色も、組織の中に影のようにまぎれこむ効用がある色なのかもしれません。


玄というのは奥深くてよく見えない、ほの暗くてよく見えない様子を表わす文字で、天の色とされています。


宇宙ロケットや人工衛星から写した空は、大気圏の外では散乱光がないために確かに暗くて星の他には何も見えません。


中国で北方を表わすのに玄の字が使われるのも、北はうす暗いからだといいます。


玄色というのは赤味を帯びた黒色だというから、これもオフブラックでしょう。


どうやらどぶ鼠色の先祖は玄にちがいありません。

色彩の尽きぬところ 4

暗い色の少ない夏でさえこの調子ですから、春や秋冬のシーズンには、その頃の実感として、猫も杓子もチャコールグレーを着ているような大流行に見えたようです。


婦人服の色としては1961年以降また減少しますが、紳士服の色としては、以後も都市サラリーマンの通勤着として、すっかり定着してしまいました。


暗い灰色や、オフブラックに近い濃紺色などは、1人ひとりの服の色として見ればなかなか深みのあるシックな色なのですが、出勤時の大集団の色となるとやはり異様な感じがすることは確かでしょう。


故花森安治氏はこれを「どぶ鼠色」と評しましたが、戦後生まれの日本語の新色名として、あるいはもっとも有名になったのがこれかもしれません。


昔の染色で、「玄」とか「墨染」と呼ばれた色も、今なら当然オフブラックか暗い灰色に分類されるところです。


墨染は、喪服の鼠色のものをいうこともあります。

びん・缶の分別収集

1984年に仙台では、びん・缶の分別収集に着手しました。


それに先立って市は市内の廃棄物処理業者と共同出資して(株)仙台市環境整備公社を設立し、当公社がこの新事業を引き受ける仕組みが築かれています。


リサイクルトナーのように地球環境に優しい仕組みです。


通常の家庭ごみは週3回の混合収集となっていますが、びん・缶については2週間に1回の収集としました。


また、収集には回収容器が使用されていて、住民はステーションにいくつか並べられたこれらの容器にびん・缶を分けることなく一緒に入れればよいことになっています。


なお、回収容器は、収集日の前日の午後に公社が各ステイションに配置します。


こうした缶・びんの分別収集や回収容器の配置は、市内全域にわたって公社が市からの受託事業として行っています。


したがって、それに要する費用は、市が委託費として公社に支払っています。


また、廃乾電池の分別収集も同じく受託事業として公社が行っていて、住民はびん・缶の収集日に乾電池を透明のビニール袋に入れて缶・びんと同じステイションに出すルールになっています。


こうして、公社によって分別収集されるびん・缶類と乾電池は市内にニヵ所ある選別工場という形で負担していますが、収集後における選別施設での選別回収事業は、公社の自主事業であるため、そのコストも公社の全額負担です。


次に、こうした"仙台方式"の実績(旧泉市分は除く)はというと、1989年度はおよそ}万350トン余り、1日当たり38トン余りに達しました。


その内訳は、スチール、アルミ缶などの金属類が11・3トン、生きびんが5・8トン、カレットが21トン、その他0・23トンでした。


公社はこれらを売って計1億3740万円ほどの収入を得ましたが、これでもって27名の従業員の給料など、選別回収費を十分にカバーすることができています。

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